ピアノの音律を不安定にする要因の一つに湿度の影響があります。
半年ごとにコンスタントに調律をしているのに狂いやすいという経験をしている方も少なくないでしょう。
ヒントは湿度の変化と響板の膨張収縮です。
湿度が不安定だと、ピッチにどのように影響があるのかを具体的に見てみましょう。
以下は私が調律にお伺いしている都内某所の、ピアノ調律カードのある年1年間の記録を抜粋したものです。
ピアノはヤマハのG2E(製番400万台後半)で、一般家庭では無くキャパ100人前後で天井高のあるスペースです。
概ね空調が入っており、乾き傾向な場所です。
調律は比較的頻繁に行われるため、作業後のピッチ変動と湿度の関係を見るのに好都合です。
日時 | ピッチ | 温度 | 湿度 |
---|---|---|---|
10/5 | (+−0)442 | 21℃ | 52% |
11/9 | (+−0)442 | 21℃ | 51% |
11/24 | 4cent上げ442 | 20℃ | 40% |
1/31 | 8cent上げ442 | 23℃ | 15% |
2/22 | A=442Hz | 22℃ | 29% |
3/2 | 5cent上げ442 | 23℃ | 21% |
3/23 | 3cent上げ442 | 22℃ | 34% |
4/20 | (+−0)442 | 21℃ | 44% |
4/28 | (+−0)442 | 20℃ | 50% |
5/12 | (+−0)442 | 23℃ | 43% |
7/27 | 16cent下げ442 | 22℃ | 55% |
9/21 | 4cent下げ442 | 19℃ | 60% |
10/11 | (+−0)442 | 21℃ | 56% |
10/19 | (+−0)442 | 20℃ | 50% |
空調が入っていて温度は比較的安定している為、湿度の影響だけをチェック出来る好都合な場所のこのピアノ。
さてこの調律カードの記録からどのような事が分かるでしょう。
春(4月前後)と秋(10月前後)はピッチの変動がほとんどありません。
湿度が50パーセント前後の日が続き調律が安定しており作業も楽でした。
ピッチ変動の大きいのが1/31の8cent上げ調律と7/27の16cent下げ調律。
さほど弾かれないこのピアノのピッチが僅か数ヶ月でこれほどまで上下するのは何故でしょうか。
答えは湿気と過乾燥による「響板の膨張・収縮」が弦の張力に影響を与えているのが原因です。
梅雨入り前後から夏の終わりまでは湿度が高くなる為、響板が湿気を吸い膨張するので弦は張られる格好となってしまい、特に中音の割振りのすぐ下辺りを中心に全体のピッチが高くなってしまいます。
逆に冬場は連日乾燥注意報が出るような過乾燥の日が続く為、夏場とは逆に響板から水分が抜け、響板の収縮により弦は弛み、結果ピッチは下がる事となるのです。
7/27は5/12に調律をしてから、梅雨の湿気を響板がたっぷりと吸った状態だったため猛烈にピッチが上がっていたのです(16cent)。
1/31も同様で、11/24に調律をしてから、冬季の過乾燥状態にさらされ、響板の水分は抜けてしまい弦が弛んでしまったためピッチが下がってしまったのです。
ピアノの調律が狂う要因として湿度とは別に「温度」の変化が言われる事があります。
温度が上がるとピッチが下がり、温度が下がるとピッチが上昇するというものです。
間違いではありませんが、実際のピアノは思いの外このような温度の影響を受けてはいません。
それを証明するのに顕著なのが、古い建物などで尚且つ冷暖房の無い場所に設置されているピアノのピッチ変動です。
古い建物などでは、窓はサッシではなく木枠だったりして、外の湿った風や乾いた風が入り放題で(仮にサッシであっても窓を開け放ちがちな環境では同様)、また冷暖房も無かったりすると夏は猛烈に暑く、冬はすきま風が入り部屋は冷えきります。
某国立大学の1、2年生が通う古い校舎に半年ごとに調律にお伺いしていた事があります。
冷暖房は無く隙間風も入りまくりです。
夏は暑く冬は猛烈に寒かったです。もし温度の影響を受けていれば冬は冷えていますからピッチは上昇している筈ですが、逆にピッチは激しく低下していました。
また夏も暑いですからもし温度の影響を受けていればピッチは下がっていなければおかしいのですが、実際はピッチが20centくらい上がっていました。
これはつまり温度の影響をはるかに超えて、湿度がピアノに与える影響がいかに大きいかということを証明しています。
温度の変化がピッチに影響を与えるというのも間違えではありません。
温度がピッチに影響を与えるのは、例えば冬場などに10度前後に冷えた部屋を、パワーのある暖房(ガスファンヒーターやエアコン等)で、ものの数分で25度くらいに上げた場合があります。
逆に冬場25度、26度と、猛烈に暖めてある部屋の窓を全開にし、3分くらいで10度くらいに急激に冷えた場合などはピッチが猛烈にあがります。
ただこれは一時的なもので、部屋の温度が適正な状態に戻ると、ピッチもある程度元に戻ります。
温度を急激に変化させることも決して良い事ではありませんが、春、夏、秋、冬、と部屋の温度が少しずつ変化していく分に於ては調律後のピッチ変動にさほど温度の影響は見られず、遥かに湿度が調律に与える影響が大きいことが日々の調律から手に取るように分かります。
また湿度が夏場と冬季で極端に変化する環境下では、調律の狂いもさることながら、同時にピアノ自体を痛めてしまう事が深刻です。
響板が割れてしまったり、ピン板に亀裂を生じたり、フェルト、クロス類が弾力を失ったり、膠切れなど、湿度が極端に変化する環境のピアノは、ある程度湿度が一定に保つよう管理されたピアノに比べ、極端に痛みやすく、ピアノの寿命が極端に短くなる場合があります。
そのような「ピアノにとって過酷な環境下にあるピアノ」には、早めの対策が必要です。
湿度による響板の膨張・収縮を抑える為には、部屋の湿度を一定にすることが出来れば、調律後のピッチの変動は最小限に抑えられます。
正確な湿度計を設置し、それを観察しながらお部屋の湿度を管理します。
梅雨から夏場にかけてはエアコンや除湿器を使い湿度を下げ、冬季乾きすぎるようであれば、気化式もしくはハイブリッド式の加湿器等で加湿をします(スチーム式は不可)。
そうやって通年、相対湿度を50パーセント程度に保つ(ヨーロッパ製のピアノはもっと低めを推奨しているものもあります)事で、だいぶ音律を安定させる事ができます。
とはいえ全てのピアノオーナーがピアノ中心に暮らせる訳ではありませんし、部屋での管理は理想的ではありますがなかなか大変な作業です。
実はピアノユーザーさんに一切手間をかけずに、響板の膨張・収縮を抑える為の有効策があります。
「ダンプチェイサー」というピアノ(響板)専用の除湿器です。
ピアノの適切な位置に設置し、コンセントに電源を入れておくだけで、あとはダンプチェイサーが自動で管理してくれます。
多くのピアノにダンプチェイサーを取付けて経過を観察してみると、高い効果が確認出来ております。
例えば、あるヤマハのグランドピアノ(G3)のオーナーさんのピアノに設置したところ、非常に高い効果が確認出来ました。
それまでも半年ごとにきっちり調律をなさっておられましたが、毎回20cent前後ピッチが上下していて、毎回の調律が大変でしたし、ピアノのオーナーさんも調律後の狂いはじめが早く安定せず困っておられました。
多湿と過乾燥の繰り返しによる響板の膨張・収縮由来のピッチの上がり下がりでやっかいなのは、中音割振りの下が極端に上下するので、もっとも使用頻度の高い中音のオクターブがヨレヨレになってしまう点です。
よく中音の調律が激しく狂うのは、使用頻度が高いからだとお考えの方もおられますが(実際そういう事もありますが)、原因の多くは響板の膨張・収縮です。
ダンプチェイサー設置後のこのG3は、ピッチ変動が4cent以内に落ち着き、オクターブがヘロヘロにもならず、安定した状態が得られました。
オーナーさんも効果を実感されていました。調律が安定せずにお困りの方は、一度調律師に状態をみてもらい、必要に応じてダンプチェイサー等を設置してもらうと良いでしょう。
ダンプチェイサーの目的を誤解してる人もいるので念のため付け加えます。
ダンプチェイサーは響板の湿度をコントロールするもので、ピアノ全体の湿度を調整するものではないです。
ですので鍵盤やアクションのスティック対策としてお考えの方は、コンプレッサー式の除湿機で部屋ごと除湿するようにしてください。
個人的にはダンプチェイサー単体に丸投げするよりは、コンプレッサー式の除湿機でお部屋全体の湿度を管理した方が調子が良いと感じます。
関連リンク : ダンプチェイサー
関連リンク : 調律を安定させる為に
The author is Masami Watanabe